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雑記

日馬富士の件で思う、愛ある教育の大切さ


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こんにちは、てすらです。

さまざまな媒体のニュースで、日馬富士の暴力事件が取り扱われていますね。

わたしは特に相撲ファンというわけではありません。
なので、この方がもとはどういった力士なのかとか、そういったことはわかりません。

あえて「相撲とかよくわからない人の目線」で書かせていただくと、この件も含めて相撲業界って、弟子の教育に問題があるんじゃないの?と思わざるを得ません。
いくつか理由を書いてみたいと思います。

 

相撲業界からは定期的に暴力事件とか聞こえてくる

相撲ファンじゃない私から見て、今回の件は「また?」という印象です。

何かよくわからないけど、定期的に力士の暴力事件って耳にしませんか?

「相撲界から暴力を振るう人が出るなんて!そんなまさか!!」

と、思った人はあまりいないのではないでしょうか。

ということは、暴力自体はおそらく相撲界では珍しいことではなく、大事になってしまったときだけ謝罪をしているのでは?と見ることができます。

 

暴力=しつけが当たり前なのでは?

このことから相撲界では、後輩の間違いを正すためであれば、暴力が正当化される土壌があると考えられます。

例えるなら、昔むかしの悪い意味での熱血体育教師のノリが残っていると言いましょうか。

「悪いことをしたのだから暴力を振るわれても仕方がない」という考えは非常に古く、現在の法律にさえそぐわないもの。
ですが、相撲界ではこのような考えがまだ定着しているのでしょう。

現に、日馬富士本人が会見においてこう発言しています。

「先輩力士として、横綱として、弟弟子、後輩力士の礼儀や躾のなっていない時、それを糺したり教えたりすることは、義務だと思っておりました。それが結果として相撲協会の皆さんやファンの皆さんに迷惑をかけることになってしまいました」

ここから考えられることは、先輩から後輩への指導として、日馬富士自身もおなじように扱われてきたのでは、という可能性です。

日馬富士は同じ口で、「日本にも、相撲にも、感謝、感謝、感謝しかない」としています。

彼の言葉を信じるのであれば、今回の暴力は「かつての先輩と同じく、今度は自分が後輩へ愛の鞭をふるった」ということになります。

 

 

暴力事件の再発防止をしているように見えない

相撲界の暴力事件は、大体が前述のような指導やしつけといったことが絡んでいるように見受けられます。

おそらく、事件を起こした力士の多くは、「後輩にけがをさせてやる」とか「後輩を殺してやる」といった気持ちで事件を起こしていないのではないでしょうか。

指導のつもりが行き過ぎた、という言葉を何回も聞いた覚えがあります。

どうやら現場としては「暴力自体をなくそう」というよりは、「殴られた本人にも否があるし、行き過ぎないよう気をつけなければならない」みたいにとらえている気がします。
そのため、他の格闘技のように「競技以外で暴力を振るうのはいけないことだ」という教育がなされていない可能性があります。

もし、「暴力はいけないこと」であれば、過去起きた「相撲取りが一般人に暴行する」事件など起こるはずがありません。

今回、貴乃花親方が直に警察へ届けたことも、こういった背景を感じていたからではないでしょうか。

もう「行き過ぎないように注意」すればいいような時代ではないということは、聡明な方なら十分にわかっていることです。

「暴力はいけないことだ」と教育さえしていれば、たとえお酒を飲んでも「殴る」という選択肢は出くる確率はグッと減るはずです。

 

今の人たちは相撲が国技だから特別扱いする気なんかない

と、思っているのですがどうでしょうか。

上の世代の人たちはわかりませんが、若い人たちはもう「国技をやってる立派な人だし多少のことは」なんて言わないと思います。

間違いは間違い、罪は罪でしかないです。

もし今回も警察に届けず、身内でなあなあに解決する姿勢がずっと続けば、いずれは「身内に甘いから問題を起こす人が続出する業界」として認識されることでしょう。

たとえば、今回のことを一般的な企業に当てはめてみるとどうでしょう。

 

職場の飲み会で、上司が部下に話していたとします。

部下は重要な話ではないと思ったのか、スマホを触ってしまいました。

その行いが間違いだと思った上司は、その間違いを伝えるため、張り手や物で殴るなどの暴行で指導し、部下に大きなけがを負わせてしまいました。

 

この場合、上司は普通にクビですよね。

犯罪者として訴えられる可能性だって十分にあります。

今回の件はつまりそういうことであり、力士だからって犯罪者というレッテルから逃れられる方がおかしいと思いませんか?

 

もし、教育がなされていれば

先輩や友人に、お酒の席でのことを教えてもらって感謝したことって、ありませんか?

「お酒が入ってるからしょうがない」ではなく、次の日などに「お前昨日のあれはな、良くないぞ」と言ってくれる人がもしいたら。

暴力事件を起こす力士だって、おそらく最初から怪我をするような暴行には及んでいないはずです。

最初は軽くこづいただけかもしれない。おそらく自分の中では加減をして叩いたかもしれない。

だけどそれが悪いことだなんて空気はなかったとしたら、エスカレートすることもあるでしょう。

 

もし、先輩がみな「競技以外で暴力をふるってはいけないぞ」「力のあるものが自分の感情のために力を振るうのは罪だ」と口をそろえていたらどうでしょう。

基本的に格闘技をやる人はそのように教わりますし、たとえば柔道や空手で黒帯を持っている人が一般人に手を上げることは、それだけで犯罪です。

わたしも空手を習っていたことがありますが、「鍛錬とは己を高めるものであり、他に誇示するためのものではない」とし、鍛錬の時以外に手を上げることは禁止という空気が強くありました。

もし相撲業界でも同じように指導されていたら…と、どうしても思ってしまいます。

 

日馬富士や周りの力士は「最後はモンゴル人力同士、仲間だから和解できると思っていた」と話したそうです。

仲間って何でしょうか。

本当の仲間であれば、間違いは間違いだと指摘してあげることこそが愛ではないかと思います。

今回事件を起こしてしまった本人はもちろん、「和解できると思っていた」なんて言わせてしまった周りの方にも、今回のことは重く受け止めてほしいなと思います。

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